映画冒頭、モモ(チョウ・リョファン)が雑踏を歩くシーンが撮影された。2月の極寒の中、夏のシーンの撮影の為に、
出演者やエキストラはTシャツなど夏の服装で撮影に挑んだ。
大阪・梅田は1日の平均乗降者数がJR・私鉄・地下鉄含め250万人と西日本最大のターミナル駅です。
その駅前にある梅田新歩道橋は大阪市でも有数の古い歩道橋で、最初に作られた南半分は東京オリンピック開催の1964年(昭和39年)に完成しました。経済成長に伴い大阪駅前で交通事故が増加したことを受けて松下幸之助が寄贈したものです。
大阪・梅田は2011年(平成23年)5月にJR大阪駅の新駅ビル・大阪ステーションシティが、2012年(平成24年)11月に阪急百貨店がそれぞれ新しくオープンし、2013年(平成25年)春にはグランフロント大阪が竣工、また今後は2014年(平成26年)着工で阪神百貨店が建て替えになるなど、さらに多くの人々が集まる新しいまちへと日々進化が続いています。
大阪らしい老舗から最先端のトレンドスポット、そして国際的な施設が集まる梅田は魅力がいっぱいです。
・モモが男に尾行されているシーン。(ディアモール大阪)
・モモが尾行してきた男を待ち伏せし、捕まえるシーン。(大阪駅前第2ビル)
大阪駅前ビルは第1から第4の4つのビルがあり、1970年(昭和45年)~1981年(昭和56年)の間に当時の駅前再開発事業として建てられました。ランチタイムや夕方ともなれば地下の飲食店街は近隣のサラリーマンやOLで賑わいます。今ではキタの中心スポットである大阪・梅田界隈ですが昔は狐や狸が出るような場所で、第1ビルの屋上には約600年前、土地の豪族が一家の守り神として祀った「狐塚」が残っています。江戸時代に湿地帯だったこの辺りを埋め立てて田畑を開いたので「埋田」と呼ばれていましたが、「埋田」が「梅田」となったのはこの土地の所有者が梅田宗庵という人であったということや、梅林があった、近隣の綱敷天神社や露天神社に縁のある梅を当てたなど諸説があります。大阪駅のあたりには「梅田墓」という歴史あるお墓や、「曽根崎心中」の道行きで登場する「梅田堤」という男女が究極の愛を示した場所がありました。次々と開発が進み姿を変えていく大阪・梅田界隈ですが、集積された歴史や物語を紐解きながら歩いてみるもの一考です。
モモと兄の別れのシーン。
大阪城の見える、大坂橋で深夜に撮影された。
大正末期に東横堀を浚渫(しゅんせつ)した際、川底から「大坂橋 天正拾三年」(1585年)の銘が刻された銅製擬宝珠(ぎぼし・伝統的な建築物の装飾)が発見されました。「大坂橋」はもともと大坂城築城の翌々年の1585年(天正13年)に架けられたとされますが、橋の所在・規模についてはさまざまな議論がなされたままです。その由緒を偲んで「大坂橋」と名づけられたこの橋は、大阪城公園と毛馬桜宮公園を結ぶ自転車・歩行者専用橋として活用されています。擬宝珠については大阪城天守閣で市民に公開されていましたが、終戦の混乱時に行方不明になり、橋の所在と同様に、幻の存在となっています。
大坂橋からは、大阪城天守閣や大阪ビジネスパークのビル群が眺めます。
キングの持つ、裏賭博場があるところ。物語中盤では春樹がひとりキングのもとへ向かった時の救急車のシーンも撮影された。
大阪フィルム・カウンシルエキストラも撮影に参加。
現在アメリカ村と呼ばれている西心斎橋は、江戸時代には、大阪湾から道頓堀を遡って炭が集められたことから炭屋町と呼ばれていました。その後は、心斎橋筋商店街に構える店舗の倉庫などがあるだけで、賑わいからは縁遠いまちでしたが、1969年(昭和44年)に「アメリカ村のママ」と呼ばれた空間デザイナー日限萬里子(ひぎり まりこ)氏が三角公園前にカフェ「LOOP(ループ)」をオープンすると、サーファーやデザイナーなど、ファッションに敏感な若者が徐々に集まり始めました。1970年代には倉庫を改装した店舗で入手困難な中古レコードやジーンズ、Tシャツ、古着、サーフボードなどをフリーマーケット形式で売り始めるなど、現在のアメリカ村の原点を形成していきました。現在は、ショッピングだけに限らず、音楽・アートなどで共感できる人とのつながりを求める若者がコミュニティを作り、感性を発信しています。
モモが幸田を呼び出し、重大な秘密を打ち明ける。思い余って自分のこめかみにピストルを突き付けるシーンを撮影。
湊町リバープレイスは屋外イベントゾーン3箇所、5~6階部分のライブハウス「なんばHatch」、7階のエフエム大阪の本社・スタジオのほかレストランやカフェがある複合施設です。道頓堀川を挟んだ対岸の「キャナルテラス堀江」へと架かる人道橋「浮庭橋」は「浮かぶはらっぱ」をコンセプトとしてデザインされ、橋上は芝生や植栽、橋桁はツタで緑化されています。
すぐそばの湊町船着場からは観光遊覧船「落語家と行く なにわ探検クルーズ」や、四季のイベントクルーズ船が出航しているので、大阪の街を川から探検してみるのも面白いです。また近隣には大きな看板で知られる道頓堀、個性的なショップやカフェなどが点在する南船場・堀江など、多様な魅力に満ちたエリア「ミナミ」があり、大阪のまちを堪能できます。
ジイちゃんと末永がこっそりと情報をやり取りしていた場所。この一帯はジイちゃんの清掃担当場所になっている。
劇中の清掃道具は実際に公園の管理に使用しているものを拝借して撮影。
中之島公園は1891年(明治24年)に大阪市で初めて誕生した公園です。当時、ビアガーデンやカフェのほか、大阪で唯一外国人が宿泊できる設備をもったホテル「自由亭ホテル」、その隣には「浪花温泉」があり、バラエティー豊かで贅沢な公園でした。現在では日本銀行大阪支店や中央公会堂、中之島図書館などレトロビルが並ぶ他、一息つくのに良いカフェなどが多く、散策にはぴったりのエリアです。
物語のラストシーン。実際に河川に漂わせたため、2月にも関わらずダイバーが潜水し、撮影に協力。
中之島の南側を通る川を「土佐堀川」、北側を流れる川を「堂島川」といいます。「土佐堀」のまちの名前は豊臣時代に、現在の土佐堀1丁目から西側一帯に土佐商人が集まり、土佐座(とさざ)と呼ばれていたことに由来します。中之島は水運の良さから諸国の物産が集まり、それに伴い各地の商人が移り住んだことや、江戸時代に蔵屋敷が建ち並んだことから、諸国にまつわる地名があちこちに見られます。(阿波座・伏見町・備後町・安土町など・・・)
淀屋橋の駅からは、水上から大阪を散策できる観光船「アクアライナー」が出航しており、四季折々の風情ある大阪の名所・旧跡の数々を川面から楽しむことができます。
・北川のトラックで幸田が吹田へ戻ってきたシーン、車内から吹田の街並み・名神高速道路が見える。(吹田)
・公園の高台から、教会の尖塔がみえる場所で幸田とモモが教会について話すシーン。クレーン機材を入れて深夜に撮影。
(片山公園高台)
『黄金を抱いて翔べ』の原作者・高村薫ゆかりの地です。
古代から続く歴史のあるまちとして、国や大阪府、 並びに吹田市の指定文化財、登録文化財を数多く有しており、とりわけ近代和風建築の歴史・文化・格式を伝える旧・西尾家住宅(吹田文化創造交流館) と国の登録文化財である旧中西家住宅(吹田吉志部文人墨客迎賓館)は必見です。またアサヒビールの創業地であり、国鉄吹田操車場が開業したことから、大正から昭和にかけては「ビールと操車場の町」と呼ばれました。
駅前の産婦人科医院前のシーン。空きの店舗を借り道路を一部通行止めにして撮影が行われた。
大阪フィルム・カウンシルエキストラも撮影参加。
春は桜、秋は紅葉の名所のとなる五月山、市立としては日本初の上方落語の資料を常設展示する「落語みゅーじあむ」、日清食品創業者の安藤百福氏が発明した世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」の歴史やオリジナルカップラーメンの創作が楽しめる「インスタントラーメン発明記念館」を始め、豊な自然、歴史、文化の観光スポットを楽しめます。